NHK全国学校音楽コンクール、Nコンの2017年の課題曲「願いごとの持ち腐れ」(秋元康作詞)の模範演奏がAKB48の選抜メンバーで放映されてから批判が表に出てきました。
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こうしたNコンの課題曲に対する批判はJ-POP路線が強くなった10年くらい前からありました。
それでも当初は「まあこういう曲もありよね」って好意的に受け止められてきた向きも多かったと思います。
ですが何年もずーっとJ-POP偏重傾向が続き、しかも「合唱曲としても質が低い」楽曲が課題曲として続くにすれ、これはおかしいんじゃないかと危機感を抱いて疑問を呈する方も増えてきました。
顧問の先生方が大変苦労して指導されてきたのだと思います。
ポップスの曲として作られた詩や歌を無理に合唱曲として合わせて歌うのは大変だと思います。課題曲の譜面がどうなっているのかわかりませんが、指導されている先生方も困惑されているのがわかります。
私はNHK全国音楽コンクールに参加し、合唱を愛するものとして合唱の多様な面を知ってほしいと思い本エントリーを書きます。このエントリーでは音楽性がどうのということは書きません。ただの、思い出話、ノスタルジーです。
1998年のNコン高校課題曲 「また、あした」
私はこのNコン課題曲「また、あした」(作詞:島田雅彦 作曲)が大好きです。自分が参加した年の課題曲ということもありますが、何より歌詞に共感したこと、楽曲にもとても惹かれました。
「また、あした」は今でこそ名曲と言われるのかもしれませんが、当時は顧問の先生方や先輩の受けはあまりよくありませんでした。それは歌詞の中に原因があるでしょうw
世界と僕は戦っている きっと世界が勝つだろう 僕に味方はいるのだろうか ああ世界は今日もまた少し退屈になっていく
という強烈な詩の世界は一部の人間には強烈に受け入れられても、そうでない人々には「暗~い、きも~い」と叩かれていました。
しかしながら
ついでに ついでに 謎の教師に尋ねてみよう
恋人ってそんなに そんなにいいもんですか?
というユーモラスな詩にクスッくとしたり、歌っているうちにみんな「また、あした」が大好きになったのでした。
私は中3の頃にちょうど島田雅彦の『君が壊れてしまう前に』『彼岸先生』を読んでファンになっていたので、島田雅彦さんの作詞の歌を歌えるのがとても嬉しかったです。ですが、周りの人はあんまり島田雅彦のNHKでの課題曲発表のVTRの印象が悪かったらしく?評価は散々でした。イケメン作家なのにね。
今からみるとこの歌詞は完全に「セカイ系」の詩ですよね。
「エヴァゲリオン」TV版が95年、旧劇の「エヴァンゲリオン」が97年、この「また、あした」は98年。
そんな時制にリアルな楽曲だったと思います。
「また、あしたは」は「世界や現実は残酷だし生きるのはつらいけど、それでも明日はいいことあるかもしんないからとりあえず今は生きよう」という当時の私達の空気を表現してくれていたのでした。
旧劇エヴァと異なり、最後はちゃんと救いもあって決して高校生達を見捨てていないのがNHKとしてちゃんとしてるなあと思います(笑)そして島田雅彦さんの優しさを感じました。
歌詞解釈 パート練習
合唱の練習では歌詞をそれぞれ読み込み、歌詞の世界を解釈する勉強会が開かれます。背景にある文学作品や社会事情などがあればそれも追究していきます。「謎の教師だの、世界が残酷になっていくだの」色々細い解釈があったと思いますが、どの高校も
でも 君のことが 好きになったから
と言う部分を気持ちを込めて歌っているのが高校生らしいなあと微笑ましくなりますw
ここは「みんな、好きな人のことを思い浮かべて歌うように!!」と言われましたからね。
合唱では一小節ずつ、位置音ずつ細かく解釈を突き詰めて、それをメンバーで共有して表現できるように練習します。楽譜を読み、こういう意図があってこういう表現ができるようにと、日々基礎練習をしています。
合唱部の練習はかなりハードで体力的にもきつかったですが、合宿でワイワイ騒いだり今となっては良い思い出です。
合唱的快楽がなくては
合唱曲には歌っていて、合唱でしか味わえない快楽が無くてはいけないと思います。優れた合唱曲、長年、歌い継がれて行く合唱曲にはやはり、「合唱曲の気持ちよさ」を歌って感じられる部分があるのではないでしょうか。
翻って、昨今のNコンの課題にそうした要素があるでしょうか?ユニゾンが多く和声の良さを感じられない…昔の課題曲と比べても音楽的な自由度はむしろ狭まっていると感じます。
NHKにはどうか幅広い意見を聴いてこれからの課題曲の方針を決めてほしいと切に願います。